子どもについての悩みは尽きない。思うようにはならないんでしょうね・・・・・
子どもについての親の悩み以上に、子ども自身が抱える悩みの重さを知る必要があります。「親目線」「子ども目線」という言葉がありますが、その隔たりから生まれる様々な問題は、親が子ども目線に立たないと解決できないことが多いように思います。この記事では、そんな子どもについての悩みにフォーカスします。
親子という人間関係
子どもにとってみれば、親との関係が長い人生にとって最初の人間関係。「人間っていいな」という先入観を与えられるのは親の特権です。一方で「親ガチャ」という言葉が生まれたように、親を選べない子どもの不幸が存在する現実も否定できません。子どもを持つことで、夫婦はその内容はともあれ「親」になります。子どもと一緒に、親としての内容を備えていくための成長過程をたどるのです。むしろ、子どもによって「親」としてのあり方の教育を受けていくような過程でもあります。
子どもへの願い
あなたは親として子どもに何を願っているでしょうか。願いが子どもにとって、愛のこもった心地よい期待なのでしょうか。誇らしい人生の目標につながっているでしょうか。過度な要求となり、プレッシャーになって子どもとの距離ができていないでしょうか。
「ただ元気に生まれてきてくれれば」「ただ笑顔で暮らしていてくれれば」と、子どもの“元気や笑顔”だけを懇願し、あえて言葉にせずに静かに想いを寄せる。祈りようなの想いが何よりです。
子どもの目線
子どもにとっては親は、その人生で代えることができない最も重要な人物です。「あなたは人生において、自分にどんな影響を与えてくれる人を必要としていますか?」と自問してみてください。果たして子どもにとっての自分はどうでしょうか。
子どもの目線はいつも希望の未来を向いています。同時にいつも父と母の間を見ています。そこから自分が出発したからです。
被害者意識からの脱却
試練に遭ったり現状に満足できないときに、被害者意識をもって誰かに責任転嫁しようとすれば、その位置からは、恨みを動機とした責任追及は生じても、それ以外何も解決策は見い出せないでしょう。人生において不条理なことも確かにありますが、多くの選択肢を前にして、都度私たちは自分で選択して今を迎えています。つまり、自分でそうしたくて今までの人生路程を歩んできているのです。そういう意味で、誰かに不満を持つのは筋違いなのです。自分は誰かの人生を歩んでいるのではなく、自分の人生の当事者なのです。
自分の親に対する姿は
子どもには、自分の親に対する姿(子どもとしての私)がどのように見えているでしょうか。親に不満を持ったり要求したりと、自分が子どもの時のほうが案外問題児だったりするものです。
人間は血筋(血統)を通して、いい意味でも悪い意味でもレガシー(遺産)を継承していきます。つまり、親子関係が最も重要な人間関係なのです。
それを深く探ってみると、今の自分の置かれた位置が見えてくるものです。先祖や家系を勉強するのも今の問題を解決するための、未来志向の解決策なのです。